TOP > 家族ってなんだろ? 人間関係の悩み 人生どうにかしたい > 毒親に感謝は不要?親に感謝できない子供の気持ち| 毒親に育てられたいい子の私・コラム7
「全然授業出てないのに学費出してくれてることを想ったらさ、親に感謝しないとだね~」
学生時代の友人Aちゃんの言葉を聞いて、私は戸惑った。
ゆの
「育ててくれてありがとう」
「卒業させてくれてありがとう」
——正直、親に対してそんな気持ちは微塵もありませーん。
ゆの
感謝するのは私ではなく、親!親の方ですよ!!と思ってしまう。
そんな毒親育ちのメンヘラが、「感謝の気持ちについて思うこと」を今日はお話します。
私が大学で知り合った友人のAちゃんは、本当にいい子で「あ、この子は大事に育てられたな」というのが一目でわかるような、とっても素敵なお嬢さんだった。
当時の私は、家庭環境の悪さを人に隠したい気持ちがあったので「ちゃんとしたおうちの娘」を演じていたこともあり、いわゆる「箱入り」のお嬢さん方と仲良くさせてもらうことが多かったように思う。
そんな学生時代のある日の会話で、Aちゃんがサラッと「親への感謝」を述べた時の衝撃は、タンスの角に小指を激突させたくらいのインパクトがあった。
ゆの
一般的には、
・高い学費を払ってくれてありがとう
・毎日ご飯を作ってくれてありがとう
・これまで育ててくれてありがとう
とか、「自分を養育してくれたことへの感謝」と思われる。
また、「育ててくれて」の中には、安心安全に育ったことへの精神的なお礼も含まれているはず。
ゆの
私は奨学金で大学に行ったし、なんなら親に無理やり入れられたお嬢様女子高でも奨学金を借りた(そして使い込まれた)。
毎日ご飯はないし、育ててくれなかった(ネグレクト)。
ゆの
真面目に考えた結果、親に対する感謝はその恩恵を受けた人だけが感じることだな、と再認識!
なかには、「そうは言っても、住む場所もあって、この世に生まれてきたことにだけでも親に感謝でしょ?」と思う方もいるかもしれない。
うん、言っていることはわかります。
かの名作『こどものおもちゃ』(小花美穂先生)のなかでも『生きてるだけで丸もうけ』というセリフがある。明石家さんまさんも座右の銘にしているし、確かにそうなのかもしれない。
ゆの
いま生きていること自体には感謝だが、それは親のおかげではない。
「誰のおかげで飯が食えてるんだっ!」とか「親をなんだと思ってんの?!」とか言われても、飯が食えてるのは自分のおかげだし、親のことをなんとも思っていません(期待していない)。
だっていま生きていられるのは、当時必死になって生きようともがいた私の努力と苦しみの上に成り立つものですから。
とまあ、こんな風にひねくれていても親に感謝できない、親を尊敬できないことは苦しい。
友達の結婚式に参列して「お父さん、お母さん、今まで育ててくれてありがとう」と花嫁が号泣するのを見ると、”親に対してこんなに感謝できる子供がいること”に泣いてしまう。
せっかくのお祝いの席にも関わらず「どうして私の親はこの子の親のように私を育ててくれなかったのか」などと、今更どうしようもない親への恨みつらみでいっぱいになってしまうのだ。
ゆの
一般的には親が助けてくれるようなことを自分で乗り越えてくると、本当に自分のことを助けてくれる人にしか感謝できなくなってしまう。そして、一番身近な人が助けてくれないんだから、他人が自分のことを助けてくれるはずがない。そんな思考になっちゃうんだよね。
だから!助けてくれる人には100倍感謝するし、その人のためなら何でもしようとする。
あと、自分が与えられたことがないものを自分から人に与えるのは苦手だから、実は忖度なしの優しさは持ち合わせていないのかもしれない(自己分析)。
ゆの
「ありがとう」の気持ちを教えてもらわないと”感謝することに気がつけない”、なかにはそんな大人もいるんですよ……。
毒親にさよなら!親から離れたい人が自立して暮らすための方法と考え方
メンヘラ化する原因をつくった家族の話を公開しながら、愛されずに育った子供が大人になってどんなことに苦しんでいるのか、心にどんな傷を抱えながら生きているのか、その苦しさや葛藤を伝えたいです。
▽【メンヘラなるままに、日暮し】はこちらから
vol.1「愛すべき母親に捧ぐ」
vol.2「呪いの言葉をかけた祖母」
vol.3「自己肯定感が低くても仕方ないって笑えばいいよね」
vol.4「毒親あるある 普通の家庭を知らない子供」
vol.5「毒親育ちだと子供はいらない・欲しくなくなるその理由」
vol.6「親に殺されるかもしれない」