TOP > そんな自分を好きになる 家族ってなんだろ? > 自己肯定できない|自分を好きになれない悩み〈メンヘラなるままに、日暮し。3〉
ゆの
毒親に育てられたあの頃の記憶をたどるコラム『メンヘラなるままに、日暮し』。
ライターゆのが、メンヘラ化する原因をつくった家族の話を少しずつ公開しています。
ゆの
幼い頃に愛情を受けて育った人は、見ていてわかる。私にはない、自信というものに満ち溢れているから。
つまり、家族に愛されて育った人はもとから自己肯定感が高いんですよね。うらやましい。
私の場合「お前は器量がない」と言い続けられたので、(コラム2を見てね!)かわいい子に異様に憧れたし、人から褒められることでしか自分の存在を認められなかった。
幼少期に純粋培養されたネガティブは、大人になって急に「ポジティブ大事!」って言われたところでちょっとやそっとじゃ直りはしない。
ゆの
そんなこんなで今回は、家庭で愛されずに育った子供が、いかに自己肯定できないかを語りたいと思います。
ゆの
恥ずかしながら、私は社会人になるまで自己肯定感という言葉を知りませんでした。
もうね、「自己肯定感ってなにソレ?おいしいの?」のレベル。
で、初めて私の自己肯定感の低さを指摘してくれたのは、新卒で入った会社の上司だった。
昇級査定のとき、「ゆのさんはいろいろ頑張ってますよ。あとは自己肯定感を上げることが課題ですね」と言われた。
じ、自己肯定感……?(ってなんですか…?)
そう、自己肯定感が低いことで査定がそんなに上がらなかったんですよ!なんとまぁ。(でもちょっとは上がった、ありがとう)
そしてこの時、私は初めて”自己肯定感”という言葉を知った。
ゆの
「自己肯定感ってなに?」と、新しい言葉を覚えた私は調べました。
Ah~!なるほど。これね、これこれ。
たしかに持ってません!笑
まず「肯定」することができる自分が、自分の中にない。だって私にいいところなんてないんだもん。
私は、いい子でなければ価値がない人間だから。そうやって育ってきた。
そして、私がいい子なのかどうかですら、その価値は他人が決めるもの。
ゆの
世の中に、完璧でなくても頑張っていなくても、生きていていい子がいること自体信じられなかった。
ゆの
どうして私はこうなんだろ。
どうしてこんな簡単なこともできないんだろう。
どうして、どうせ、私なんて。
ネガティブな言葉が自然と口から溢れてくる。そんな自分にまた嫌悪する、負のループ。
自分のことが好きになれないから人を好きになる気持ちもわからずに、人から好かれることも怖かった。
祖母から繰り返し言われた「お前を言い寄ってくる男にはみんな何か目的がある」という言葉がいつも頭をかすめた。
いまなら冷静に考えて、
ゆの
くらいには思うことはできる。まぁちょっとは疑うけど。ちょっとだけ。
いや、一人くらいは純粋に私を好きになってくれる人いるでしょ?ね、違う!!!!?そうでしょ!!!?そうだよね!!!??
って、いま隣にいるグレバリのメンバーに無理やり同意させるくらいのことはできる。できるともさ。(やらないけど)
でも、そう言えるまでには随分と時間がかかった。
何度も何度も泣き叫びながら、私を好きだと言ってくれる人を全力で傷つけながら、自分もボロボロになって。
死にたくなって信じられなくて苦しくて。それでようやく、少しだけわかってきた。
ゆの
家庭で愛されることを知らずに育つと、純粋に「いわゆる普通の家族」に憧れるようになる。
早く自分の理想の家族が欲しいと思うし、心のどこかでは「私は絶対に母たちのようにはならない」という自信もある。
でもその半面で、家庭を持つことに恐怖している自分もいるし、メンヘラ行動を繰り返してしまう度に死にたくなってたまらない。
親が子供を愛して育てられるのは、お父さん・お母さん、そしてその周りの人の支えがあるからこそなんだよ。
「ウチなんて普通だよ」って言う友達よ。あんたの家は普通じゃないよ。愛されて育つこと自体に感謝しようよ。
自分のことを好きになり切れなくてもいい。ただせめて、自分のことを好きだと言ってくれる人のことだけでも、信じられるようになりたい。
なんて。低い目標かなぁ。
【メンヘラなるままに、日暮しvol.4~はこちらから▽】
最近体重がごっそり落ちて体力が下がったので、階段を上るのさえ超しんどい。
趣味は独女とメンヘラの友達との文通。組織に馴染めずフリーランスで仕事しながら、夜な夜な文章を書く生活。